ジプシーのサーカス

数年前、パリでジプシーのサーカスを観た。

偶然見つけた情報誌の広告を頼りに辿りついた場所には、パッシーという高級住宅街に埋もれるようにひっそりと小劇場が建っていた。

細いエントランスを入って受付で一番安い10ユーロのチケットを買うと、横の階段を降りるよう案内された。

地下はちょっとしたカフェテリアのようになっており、オレンジ色の薄暗い電灯の下、イスやテーブルが無造作に置かれてある。

手前にはドリンクのカウンターがあり、中央に簡素な布のカーテンとレトロな電飾が施された手作り感溢れる小さな舞台があった。

まあ、10ユーロならこんなものかとちょっと苦笑いしながら椅子に腰掛けると、脇の通路にジプシーというより、どちらかというとロシアのバレリーナのような華奢な女性が一人柔軟体操をしているのが見えた。

その奥では、ヴァイオリンやクラリネット、アコーディオンを手にしたいかにもジプシーらしきおじさま達が、わいわい談笑しながら試し弾きをして何やら賑やかだ。

しばらくして、今までごちゃまぜだった騒音が急に一つのメロディーになり、楽隊がリズミカルに列を成してこちらへやって来た。

しかし彼らは目の前の舞台には上がらず通り過ぎて行く。?と首を傾げていると、執事風の二人の青年がどこからともなく現れて、突き当たりの壁の前に立ち、おもむろに壁に触れた。

その時初めて、私はそれが大きな扉だったと気付いた。

扉は厳かに、ゆっくりと開き、その向こうにオペラ座を小さくしたような、趣ある古い劇場が姿を見せた。

呆気に取られている私達について来るよう促して、楽隊はどんどんその中へ。

「ハーメルンの笛吹き」さながらに、ぞろぞろと観客もその後に続いた。

客席に座り、きょろきょろと劇場を見渡すと、すぐ脇の木柱には見事な彫刻が施されており、よく見るとそれは可愛いとはとても言えない、邪悪に笑う赤ん坊の頭部だった。

この劇場はかつて、一体何に使われていたのだろう…?ほどなく、サーカスは幕を開けた。

主に大家族で構成されているらしく、はじめにちょっとむちむちした女の子が猫と一緒に登場し、愛らしいダンスで会場を和ませ、続いて青年二人がジャグリングを披露。

これがまたこちらがひやひやする程下手くそで、度々ボールを落としてしまう。

舞台後方には、何故だか一家の大婆と思われる老女達がどっかりと座って舞台を見守っており、失敗したり芸が怪しくなると、ここぞとばかり立ち上がり、手を繋いでラーラララララー♪と奇妙な歌を口ずさみながら舞台前方までやって来る。

そして波のようにすべてを洗い流し、また何もなかったように元の椅子にどっかりと腰を下ろす。

これはぼったくりと怒る人もいるだろうな、、と思いつつ、その謎めいた、ある意味絶妙な胡散臭さに私はすっかり惹き付けられていた。

後半には、開演前カフェテリアで目にしたあのダンサーの女性と男性がペアで登場した。

舞台は今までと打って変わって大人なムードで、照明や音楽も艶っぽい。

天井からは長いロープが数本垂れ下がっており、男女はロープやお互いに絡み付いたり離れたりしながら、空中で官能的な舞いを見せた。

隣に座っていた家族連れの父親は、堪らず子供の目を手で覆った。

ラストには、舞台に楽隊もパフォーマーも、大婆達も皆集い、歌えや踊れや賑やかにサーカスは幕を閉じた。

何か不思議で圧倒的な呪文を掛けられたように、ふらふらと夢見心地で劇場を後にした。

その酔いから完全に醒めるまで、三日掛かった。

それからパリを訪れる度、またあのサーカスが観たくなって探してみるのだが、放浪する民ジプシーとだけあって、未だ再会できずにいる。

もしかしたら、あれは本当に魔法に掛けられて見た夢、幻だったのかもしれない。

掴み所のない、得体の知れない、しかしながら未だ濃密にこびり付く、パリのある一晩の記憶。