光と闇
神は「光あれ」と言われた。すると光が在った。
神はその光を見て、良しとされた。神は光と闇とを分けられた。
神は光を昼と名付け、闇を夜と名付けられた。夕となり、また朝となった。第一日である。
ー 創世記 第一章 より
これからお話することは、聖書にも何処にも書かれていない秘密のお話。
遠い遠い昔、神様がこの世をお創りになり、一日目に生まれた光と闇のお話。
昼と夜と名付けられた光と闇は、昼と夜が入れ替わるほんの一瞬だけ交差した。
そのほんの束の間に、光は闇に恋をした。
そのどこまでも深く、吸い込まれそうな漆黒の闇に。
毎日その一瞬のすれ違いを待ちわび、その刹那に胸を焦がし空を燃やした。
朝焼けや夕焼けの空があんなにもセンチメンタルなのは、きっとそのせいなのだろう。
闇もまた、光に惹かれていた。眩しくきらきらと輝くさまは喜びに満ち溢れ、近寄ると心が温かくなった。
光は闇を想うあまり、地面に影をつくった。でもそれは光がつくった小さな闇で、とても儚かった。
逢いたくて思わず泣き出すと、その涙は光の中で沢山の雨粒となり、やがて空に虹を掛けた。
闇もまた光を想うあまり、夜空に光を映すまあるい鏡をつくった。でもそれは闇の中ですぐに欠けてしまうのだった。
逢いたくて思わず泣き出すと、その涙は星屑となり、夜空をたゆたう川となり、やがて闇の中に流れていった。
神様はこの様子を静かにそっとご覧になっていた。
神様は光と闇の想いを痛い程感じておられたが、光と闇が一緒になればお互いが無くなることも知っておられた。
神様は悩み苦しんだ末に、光と闇を持ち合わせる新しい生命をおつくりになった。
そして、その人間という生命を、光と闇の子とした。
「だから、光と闇両方を自分の中に持ち続けなさい。私たちの中だけで、光と闇は一つになれるのよ。」
母は幼い私の枕元でいつもこう囁いて、光と闇のお話を締めくくった。
私はこのお話を眠る前に聞くのが大好きだった。
瞳を閉じると、一つの詩のように、美しい音楽のように、言葉のひとひらひとひらが夜空を舞い、やがてその光と闇をたっぷり含んだ言葉たちは私の胸の小箱の中にしまわれ、すやすやと眠りについた。
幼い私がこのお話を真に受け、本当に信じていたかはわからない。
ただ、縁側で西陽を浴びながらどこか遠くを見つめ佇む母の姿を見つけると、幼心に本当に光と闇とが共存した姿のようで、少し怖かった。そして、美しいと思った。
光と闇を懐の奥にそっとしまったまま、やがて私は成長し、写真と映画に恋をした。
写真は特に古いものが好きで、アンティークショップなどへ行くと見知らぬ家族のスナップを持ち帰ったりした。
フィルム写真は光の下で撮られ、暗室という闇の中で現像される。
なんだか光と闇どちらの想いも通過し立ち現われるもののような気がして、切なくも愛おしくなるのだ。
『死刑台のエレベーター』のラストシーンには、光と闇が見事に立ち現れていた。
映画は映画館で観るのが好きだった。
闇が月の鏡に光を映したように、暗闇に浮かび上がる窓の向こうで繰り広げられる物語に夢中になり、彼方に想いを馳せた。『カイロの紫のバラ』のセシリアのように。
そうして、大人になった私は、光と闇を持つ一人のひとに恋をした。
その人は初めて会った日、私に自分の作品集を手渡しこう言った。
「折に触れこの本を開いてみてください。きっとあなたと記憶を穏やかに繋いでいってくれるはず。」
本を開くとどの風景も見知らぬ場所なのに、どこか懐かしかった。
ページを捲るたび、毎晩枕元で母から光と闇の話を聞いていた頃の幼い自分に帰っていくような気がした。
震える心で世界に出逢っていた頃の、まだ何者でもなかった自分に。
それから、二人は日々の喧騒を縫って逢うようになった。
彼は私を被写体に、写真を撮ったりもした。
紙に焼かれた私の肖像は、幼い頃見た縁側に佇む母の姿とどこか重なった。
私もいつの間にか、光と闇を持ち合わせる女になっていたのだろうか。
彼が私の胸の小箱を開けたのかもしれない。
逢えない時はメールで、お互いの近況や色々なことを語り合った。
ほとんど日記のようなもので、書きながら自分の変化にはっとしたり、悩んだり弱くなったり強くなったり揺れながら。でも素直にありのままを綴っていた。
ある時彼が
「◯さんの文章って独特ですね。生と死の境界線から放たれた、淡い色をした風船みたいな。ちょっと味わったことのない感触で驚きました。いつか長い文章を読んでみたいです。」
と返事をくれた。
そんなことを言われるのは初めてで、気恥ずかしくもとても嬉しかった。
たくさんのコンプレックスで覆われた私の鎧を、彼は魔法のようにさり気なく、そっと剥がしてくれた。
鎧が外れて軽やかになったと同時に、外気に晒され傷つくことも多くなった。
その度に、自分の脆さ醜さを目の当たりにしなくてはならなかった。
だんだん女という生き物になっていく自分に、私は戸惑うようになった。
次第に二人の関係はぎくしゃくし、その年の瀬逢ったのを最後に、彼は私の前から姿を消した。
メールをしても返事はなかった。
数ヶ月来ない返事を毎日待っていた。でもそのうち待つことも諦めた。
それから半年程経って、私は自分のウェブサイトの片隅に拙い文章を書き始めた。
心には「いつか長い文章を読んでみたいです。」というあのひとの言葉があった。
それから宛のない手紙を書くように、私は拙い文を書き続けた。
10年の月日が流れて、私もだいぶ年を取った。
風の噂で、あのひとは結婚して父親になったと聞いた。
私も日常に流されて、近頃は文章を書くこともしていなかった。
胸の小箱も閉じられたままだ。
ところが最近になって、観に行った映画の中に、通りすがりの道端に、ふとした瞬間に、神様が現れた。
幼い頃いつも傍にいた私の神様が。
神様は何も仰らず、ただ穏やかに佇んでいた。
何となく、神様は私の胸の小箱を開けにいらしたような気がした。
そして箱の中で眠っていた光と闇を目覚めさせた。
不思議なことが続いたある日、私は光と闇のお話をここに書いてみようと思い立った。
ずっと自分の胸の中だけにしまい込んでいたけれど。きっとこれから先、私が自分の子に光と闇のお話を聞かせてあげることもないだろうから。
幸運にもこの文を誰かが読んでくれて、もしかしたらその人の大事なひとにそっと伝えてくれたら、それでいい。
この世が生まれた遠い昔から、そしてこれからもずっと続いていく愛の物語を。
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