メッセージ

2000年1月の或る日、母から奇妙な小包が送られて来た。

封を開けると、中から透明の小さなガラスの物体が出てきた。

それは試験管や、ややエロティックなものを連想させる形状をしており、密封されたガラス管の中には、白熱電球のフィラメントが一つ、何かメッセージが書かれた紙片が一枚。

そのメッセージは次の通り。

“ここには60W(100W)白熱電球のフィラメント、そして1999年12月の空気と、私のメッセージの紙片が入っています。

メッセージ:私は私の作品をつくるためにたくさんの60W(100W)白熱電球のフィラメントが入り用です。それを求められるという情報が得られたらうれしいのです。この小さな物体が情報をお持ちの方の手に渡ることを念願しています。”

もう一つのパターン。

“ここには1999年12月の空気とともに私のメッセージが入っています。

メッセージ:「芸術の本質は見えるものをそのまま再現するのではなく、見えるようにすることにある。」これは「造形思考」にしたためられているパウル・クレー自身の言葉です。私はこの本を求めたいのですが絶版で求めることは不可能です。本を譲って下さる方、あるいはその情報を知っている方の手にこの小さな物体が渡ることを念願しています。”

それから、地元仙台の街を流れる広瀬川の川面や川岸をモノクロで写したポストカードが3種類同封されていた。

その写真は、老眼の目を凝らしながら母が撮ったものだろう。

年賀状の代わりに、母は毎年自分の作品を刷ったポストカードを寒中お見舞いとして皆さまにお送りしていた。

その年はミレニアムとあって、想いは平面を飛び越えてしまったのかもしれない。

2010年1月。

あれから10年の月日が流れた。

手元にある物体の中のフィラメントは、引越しや何やかんやの衝撃で粉々に分裂してしまった。

けれど紙片のメッセージと1999年12月の空気は、密封されたその中で今も確かに息をしている。

手のひらでそっと小さな物体を転がしながら、私は川辺で一人大きなビニール袋を風に靡かせ、1999年から2000年に移ろう空気をただひたすら掴もうと奮闘している母の姿を想う。

未だ叶わぬまま、多分これからも叶う事はなかろうそのメッセージが、私の手の中で少しくたびれたように、微かに揺れている。