青の時間

近所の映画館で、ロメールの「レネットとミラベル 四つの冒険」というオムニバスを観た。

主人公は十代の二人の少女。

田舎っ子のレネットと都会っ子のミラベル。

感受性豊かな二人の日常の冒険が、瑞々しく鮮やかに描かれている。

その第一話「青の時間」は、バカンスで田舎を訪れたミラベルがレネットと出会い体験する二日間が、牧歌的な風景、美しい木漏れ日、森のざわめき、他愛もない会話の中で、ゆったりと経過してゆく。

タイトルと対比するかのように、場面の所々に現れる赤が目を引く。

赤い水バケツ、二人の赤いカーディガン、食卓の赤い果実…。

その食卓でレネットがふいに語り出す「青の時間」の話。

それは夜の生物が眠りにつき、昼間の生物が目覚めるまでの一瞬の間。

その時世界は、青の沈黙に包まれる。

あまりに短く儚い時間の為、それを体験しようと試みた二人も、一度は通り過ぎる車の音に邪魔をされ、敢えなく失敗する。

翌日再挑戦の末、目の当たりにした青の時間は、二人の白いリネンのネグリジェや、血の気の通ったつややかな肌をも青の世界にすっかり支配してしまった。

その光景は、幼い頃見た怖い夢に少し似ていた。

夢では夕刻、辺りは薄暗く嵐の到来を予感させた。

人通りはなく、風だけがヒューヒューと吹き荒れる帰り道、私は恐ろしい現場を目撃する…。

青一色のその夢は美しいとも言えるのだが、まだ記憶に生々しく、あまり思い出したくないので、これ以上は書かないでおこう。

二人の少女が体験した、青の時間。

その一瞬だけ、二人は可憐な少女でも、今時の若者でもなかった。

そういえば“青年”と聞くと、若い男性だけをイメージしてしまうのは何故だろう。

女性だって青年期はある筈なのに。

ピカソの「青の時代」も三島の「青の時代」も、やはり男性のもの、と認識してしまう。

何となく、時代は男性的で、時間は女性的なもの、のように感じる。

男性は、小さな頃から乗り物や冒険を好むように、その時代を自ら運転し進んで行く。

そして過去と未来の時代に思いを馳せ、語ろうとする。

女性は、おままごとやお姫様ごっこの宝物を小箱に仕舞っておくように、嫁入り道具に箪笥を持って行くように、自分の中にいつも扉や引き出しを持っていて、時々それをそっと開ける時間がある。

たとえ妻となっても母となっても、はたまた孫ができようと、そのひとときはきっと、何者でもない“私”になれる。

リンドバーグ夫人も「海からの贈り物」の中で、その時間について綴っている。

私がこうして、つたない文章を思い巡らす時間もまた、その引き出しを開けるひとときとなるのだろう。

映画館から出ると外は東京らしからぬ一面の雪景色で、私はまだ誰も踏み入れていない真っ白な地面に、そっと青い足跡を残しながらゆっくりと家路を歩いた。